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TAKADANO BARBER

Tokyo, Japan

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TAKADANO BARBER

RADIOHEAD

RADIOHEADの94年のライブ。当時は気づかなかったが、日本の所謂ヴィジュアル系(ラルクとかLUNA SEAとかその周辺)への影響が色濃いのが分かる。サウンドも去る事ながら、耽美的で内向的なステージングや立ち振舞、RADIOHEAD→LUNA SEAの系譜は歴然。ただし、いつも日本のロックはそうだが、RADIOHEADに影響を受けたLUNA SEAに、さらに影響を受けたバンドが雨後の竹の子のようにポコポコ出てくると、影響のフィルターが掛かり過ぎて、音楽としてあんまり良くなくなってしまう。海外のメロディックパンクに影響を受けたHi-STANDARDの影響を受けた日本のメロコアバンドたちも然り。やはり所詮ロックは外人が作った物なので、いかに海外との足並みを揃えるか、が大事なんだろうな。数年の違いが致命傷になる。きっとそれを“センス”と呼ぶのだろう。“センス”とは、スピード感なのだ。

ちなみに小生、LUNA SEAは結構好きです。ラルクはあんまりだな。黒夢は、当時は好きだったけど、ちょっと前に聴き直したらあんまりだった。

CASH 其の参

男という生き物は、よく言われる通り、非常に理屈っぽい。子供の頃は無邪気に、そして気の向くままに夢見ていた事が、大人になるにつれてそれを失ってしまう。理想と現実という相反する事柄が、その理屈っぽい頭では、どうしても受け入れる事が出来ないのだ。理想と現実、というものは、実は自分自身の内側にあって、人間というものは元来、その矛盾や、相反する事柄、理屈で説明できない事柄を抱えて生きている。人生が進むにつれ、それに直面しなければならない事が多くなる。だから、孤独であればあるほど、「ジョーカー」や、「タクシードライバー」のトラヴィス、「魂のゆくえ」のトラー牧師のように、自分自身の中の矛盾が、膨れ上がり、膿のように溜まっていき、終いには破裂しそうになる。それを処理しきれず、「いっその事、その理想と現実ごと、破壊してしまおう」と、頭をよぎるのは、世の男性諸君は、共感できるのではないだろうか。それを実行に移してしまったのが、ジョーカーであり、トラヴィスであり、トラー神父である。(もちろん実行するか否かの間には大きな溝があるのだが。)

象徴的なのは、「魂のゆくえ」で、イーサン・ホークの息子は戦争で亡くなってしまうのだが、そのことによりイーサン・ホークは妻に「あなたとはもうやっていけないわ」と離婚されてしまう。イーサン・ホークが悪い訳では無いのにも関わらずだ。その数年後、様子がおかしいイーサン・ホークに「辛い時はいつでも言ってね」とやさしい言葉を掛ける元妻。「いやいや、アンタが先に突き放しておいて、今更何それ?!」と、自分を含めて、男という生き物は、ついそう思ってしまう。

違うのだ。女という生き物は、理屈では無いのだ。その瞬間、瞬間の感情でもって生きているので、数年前は本当に「もう無理!」と思っていても、今は本当に「あなたを助けたい」と思っているのだ。あの時こう言っていたから、今もこうだ、は通用しないのだ。

男性社会では、そういう女性の、理屈では説明できない、感情的な部分を、しばしば面倒臭いなどと切り捨ててしまいがちだが、自分は全くそうは思わない。なぜなら、理屈っぽい頭の男という生き物を、前述した人間が元来抱えている矛盾から開放してくれるのは、女性という生き物以外無いからである。理想と現実の矛盾に、「まぁそんなこともあるけど大丈夫よ」と理屈抜きに安心させてくれる。それは女性にしか出来ない事なのだ。

「タクシードライバー」と「魂のゆくえ」が素晴らしいのは、その“女性による開放”が見られる所にある。頭でっかちで理屈っぽいが故に、自分自身を理屈でがんじがらめにして、疲弊していく愚かな男という生き物を、理屈から開放してくれるのは、女性という生き物にしかできないし、その真理を付いているからこそ、両作品は良いのだと思う。

「ジョーカー」は、残念ながら救われない。この世の中には救われない事もしばしばある、という事も得てして真理かもしれない。でも自分としては、そこは大きく物足りない部分かと思う。

という事で、ジョディー・フォスターとアマンダ・セイフライド、両者に乾杯。8563a7ffc7bdccb240f817bc584e1ec0

すこぶるキュート!

CASH 其の弐

そんなホアキン・フェニックスと言えば、去年の「ジョーカー」が記憶に新しい。先に言っておくと、小生の感想は、今ひとつだった。

  • 主役はホアキン・フェニックス、最高の演技
  • ストーリーは「タクシードライバー」へのオマージュ
  • 主人公は、その「タクシードライバー」の、デニーロ×スコセッシ監督コンビの「キングオブコメディ」のような、キレるコメディアン
  • そしてそのロバート・デ・ニーロが、今度は敵役
  • 地下鉄の初めての粛清のシーンは、チャールズ・ブロンソンの「狼よさらば」
  • 超エンタメのDCコミックス作品が、上記のような名作群をオマージュする、その野心
  • 映像が素晴らしい
  • 小人が出てくる

以上のような良い点が多数あるのにも関わらず、今ひとつ、という感想。。。それってホンマに良くないって事やん!

「タクシードライバー」の正式な継承者となると、小生は自身を持って「魂のゆくえ」(2017年)をプッシュしたい。監督はポール・シュレイダー。そう「タクシードライバー」の脚本を書いた男だ。構想50年(タクシードライバーを書いた頃から温めていたという事になる)、そして自身の最高傑作と称している。

イーサン・ホーク演じる主人公は牧師で、小さな教会で説教をしている。しかし、息子の死というトラウマを抱えながら、商業主義に走るメガチャーチや、社会問題などに直面し、愛だの何だのを説く自分と、愛だの何だのだけでは解決できない世界との間の矛盾が膨れ上がり、整合性が取れなくなり、次第に破裂しそうになっていく様を、じっくりと丹念に描いている。こう書くと「タクシードライバー」も同じ様な話ではあるが、やはりポール・シュレイダー、本家本元だな、と思わされた演出がある。

「ジョーカー」では、“銃”が力や強さの象徴として出てきたが、それは50年前に「タクシードライバー」で既にやっていた演出だ。では「魂のゆくえ」で力の象徴として出てくる小道具は?それは“スーサイドベスト”だ。

Suicide_Bomb_Vestこういう奴。

テロリストなどが自爆テロを行う時に着用するベストだ。50年の歳月を経て、力の象徴を、銃からスーサイドベストにアップデートした監督の気合いを感じるだろう。

この小道具一つにも象徴されるように、「タクシードライバー」や「魂のゆくえ」、それこそ上に挙げた「キングオブコメディ」や「狼よさらば」などが何故優れた作品なのか?それは、痛烈にその時代を切り取っているから、なのではないかと思う。その時代の風景や空気感はもとより、その時代の社会の問題や情勢に切り込んでいるから説得力があるのだと思う。テロリズムが脅威とされる現代で、スーサイドベストを選んだ、その演出が肝なのである。

その点「ジョーカー」は、主役がジョーカー故に、残念ながらDCコミックスという絵本の中からは出られない。もちろん「タクシードライバー」や「魂のゆくえ」もフィクションで作り話ではあるが、相対的に説得力が弱いと言わざるを得ない。「超エンタメのDCコミックス作品が、上記のような名作群をオマージュする、その野心」が裏目に出てしまったのではないだろうか。ようは、今更DCコミックで「タクシードライバー」の焼き直しをされてもね~「タクシードライバー」を作った張本人は、もっと先行ってるよ~という感想になってしまう。

あと「ジョーカー」は、ジョーカーになるまでの前日譚なので、最後にジョーカーにならざるを得ない。つまり、バッドエンドでしか締めくくれない、という弱点もある。「タクシードライバー」や「魂のゆくえ」の良さは、ラストで“女性という救い”がある所なのだが。。。「魂のゆくえ」における男女感の話、はまた別の機会に。

とにかく「魂のゆくえ」非常にお勧めです。アマンダ・セイフライドもイイよ。

CASH

2883000

ジョニーキャッシュの伝記映画と言えば「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」。ジューンカーターとの恋愛を中心に、ジョニーキャッシュの栄枯盛衰を丁寧に描いている。名曲ズラリ、伝説のフォルサム刑務所でのライブシーン、ジェリー・リー・ルイスやらエルヴィスなんかの出てきて、ファンも楽しめるし、「ボヘミアン・ラプソディー」で音楽モノ伝記映画にハマった方にもお勧めできる内容。

特筆すべきは、主演がホアキン・フェニックス!ジョニーキャッシュ自身が「わいを演じられるんはアイツしかおりまへん」と直々に指名したそうな。

映画にも描かれているが、ジョニーキャッシュは次男坊で、幼少期に兄と死別している。父親の仕事の手伝いなど、何かと頼りにされていた兄が死に、父親から「出来損ないのお前が生き残ってしまった」的な事を言われたそうだ。優等生だった兄の幻影に苦しみ、出来損ないと称される弟。ロックで見返してやると言わんばかりに、それを払拭しようとするも、拭いきれない劣等感、自己嫌悪。

そうか、ホアキン・フェニックスも次男坊だ。兄はあのリヴァー・フェニックス。兄は同じく絶頂期で他界し、残された弟は、その圧倒的な兄の幻影に翻弄され、葛藤し、それでもなお、役者を続ける。そんな次男坊ホアキン・フェニックスに、ジョニーキャッシュがオファーしたのも納得できる。

そんなジョニーキャッシュの“兄の死”にオマージュを捧げたのが、「デリカテッセン」や「エイリアン4」でお馴染みの、ジャン・ピエール・ジュネ監督の「天才スピヴェット」。兄弟を無くした主人公の少年が、なんとか人に認められようともがく様がコミカルに描かれる、まさにジャン・ピエール・ジュネ印の作品。ジョニーキャッシュのウエスタンブーツの話が胸を打つ。隠れジョニーキャッシュ映画として、合わせてお勧めしたい。

スケアリーストーリーズ 怖い本

を観た。監督は「ジェーン・ドウの解剖」(これも面白い!)のアンドレ・ウーヴレダル、製作にギレルモ・デル・トロという、「パンズラビリンス」「永遠のこどもたち」路線の、ギレルモ・デル・トロの十八番(オハコ)といった所か。“忌まわしき伝説に立ち向かう、悲しみと孤独を抱える少女”という主題が本当に好きな人だ。彼のこれらの作品は、一般的なハリウッド的ハッピーエンドではなく、なんだか日本的なんだよな~と観ながら思ったが、そうか、忌まわしき伝説に立ち向かう、悲しみと孤独を抱える少女=我が国の「風の谷のナウシカ」やわ!最近流行りの80’sリバイバルなジュブナイル的要素も見受けられて、なかなか良かった。あ、そうだそうだ、「シェイプ・オブ・ウォーター」の主人公も、悲しくと孤独を抱えた女性だったな。あと、化け物側も何かしらの悲しみを抱えている、というのも大きな特徴と言える。

冒頭で掛かるのは、DONOVANの66年作「SUNSHINE SUPERSTAR」収録の名曲“SEASON OF THE WITCH”!ドノヴァンは、大昔に大阪246スタジオのトヨテツ氏にお勧めされて以来のお気に入り。憧れのボブ・ディランに初めて会った際、「なんかナヨナヨした歌でキショいやっちゃな~」的な事を言われて大変ショックを受けた、という可愛らしい逸話もトヨテツ氏に教えて貰った。

そしてエンディングでは、Lana del ReyによるカバーVer.が掛かる。ラナ・デル・レイは、Caballero Polkersジュン氏から去年教えて貰って、絶賛愛聴中。

十数年の時を経て、交差する思い出、ギレルモ先生、どうもありがとう!

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